ケアが主導する経済と社会は、ケアが主導する経済と社会協会が執筆しています。
共創という世界
けあの学校
共創とは、何かといっしょに創造するという考え方である。この「いっしょに」するものは人でも物でも何でのいいかもしれない。普通、共創という場合、複数の人が一緒に創造するということを示す。しかし、より広く考えれば、その共にするものが物であっても、現象であってもいいのかもしれない。一見、人間はいない中での創造なので、単なる「(一人で行う)創造」だろう。しかし、あるものがあって、はじめて人間は創造することが可能になるのであるから、共創は創造そのものであるといえるのだろう。
ここで振り返りたい。知識創造という大きな概念の中に、知識共創がある、もしくは知識共創と知識創造という二つの概念があるというのが普通の考え方である。特に、知識創造の方が古くから存在している概念であり、知識共創は比較的新しいがゆえにそのような見方がされるのかもしれない。しかし、上で考えてきたように、「知識共創」=「知識創造」であり、どちらかといえば、知識共創が大きな概念としてあり、その中で、共創する相手が人でない場合、知識創造であるという組み換えができるのである。
共創というと、「共働した」という点に重きが置かれるため、知識創造のサブ概念であるという意識が生まれてしまう。しかし、知識はそもそも共創するものであるという視点に立つべきだろう。その中で、共働相手が人でない場合、知識創造なのであるという、知識共創こそが上位概念であるという視点の転換が必要かもしれない。
共創の環境
共創には、環境が必要である。創造しようとする人がどのような環境に置かれているかによって、その活動に大きな影響が及ぶからである。環境やモノを相手にして共創する人は、環境こそが共創する相手なので、そのあり方は重要であることはいうまでもない。一方、人間と共創する場合、共創しようとする人々が共創しようと動機づけられる環境が整備されている必要がある。このように、二つの点から、共創環境こそが重要な視点であるといえるだろう。