ケア産業セクターの台頭

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近代社会の出現は第二次産業、製造業セクターが社会の主役となる過程に生じたパラダイムだといえるでしょう。日本は西欧列強の脅威が迫る中、自らを西欧社会が形成した「近代社会」「近代国家」モデルへと変革する必要に迫られました。自らが置かれた歴史的、文化的、地理的な諸条件とはまったく無関係に「近代社会」「近代国家」というモデルに自らをあてはめ、自らの血肉をゆがめ、切り落としながら、変革に乗り出したのが日本における近代社会の始まりでした。

その過程においてそれまで圧倒的な社会的位置を占めていた第一次産業、農業セクターが順次制限され、これから成長させなければならない第二次産業、製造業セクターへと人材を供給することになります。この流れは、各国との戦争、第一次世界大戦、そして、太平洋戦争という大きな社会的断絶面があったとしても、変わりなく進行しました。そして、第二次産業、製造業セクターが圧倒的な社会の主役となるのは戦後、高度成長期を超え、1970年代になってようやく到達したのです。いわば、この時点で近代社会が終焉したといえるでしょう。これは他国、とりわけ米国、西欧諸国においても同時期(もしくは日本より一歩速く)到達することになったのです。前後するとしても大方の先進諸国は1970年代には近代社会を終え、新しいパラダイムへと歩を進めることになりました。

そこに現れたのはサービス業セクターでした。先進諸国は圧倒的な豊かさを近代社会において手に入れたことで、多くの物質的欲求は充足されるに至りました。満ち足りた物質的生活を手に入れた後に人間が求める欲求とは何でしょうか?それはより満足できるサービスを手に入れることです。どんなに物質が満ち足りたとしても、それ自体で満足することはできず、また、物質の提供に伴う経験的要素、いわば体験を通じて満足をより高めたいという欲求が強くなるのです。それはサービス産業セクターの出現と台頭でした。このパラダイムは近代社会成立後の新しい社会の生成過程に入ったことを意味しています。このポスト近代社会を別の言い方をすれば、サービス主導社会だったといえるでしょう。そして、このサービス業セクターの成長は急激に進み、1990年代には完全に成長を遂げ、成熟期に至ります。

2000年代にはサービス業セクターは巨大な存在となり、社会の主役となります。そして、このポスト近代社会をけん引したサービス業セクターが圧倒的な社会の主役となったこの時点で、ポスト近代社会の終焉を迎えることとなりました。近代社会が百数十年かかって成し遂げたプロセスをポスト近代社会は数十年で完遂したことになります。そして、この2000年代以降、日本ではサービス業セクターからケア産業セクターが主導する社会へと変容を始めます。その原動力は高齢者の激増でした。高齢者の増加、高齢社会の出現は若干マイナスな位置づけを受けがちですが、実は、日本の社会的変容の原動力となる重要で、かつ強力なものでした。

サービスが欲求の中心となったポスト近代社会の次に出現したのは、単に自発的に欲求することを体験させてくれるのではなく、若干受動的で、ダメな自分を認めてくれる寛容や成長や癒しを促してくれる体験をさせてくれる「ケア」が欲求の中心となったポストポスト近代社会だったのです。

このケアセクターが主導する社会、言い方を変えれば、ポストポスト近代社会はケア主導社会であるといえるでしょう。



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